文系廃止論について:学問の「価値」とは何か

文系は「役に立たない」から縮小させていこう。北大では何十もの研究者がリストラされる事態にまで発展しており、本格的な文系の危機が訪れています。でも、それでいいのかな。

文系とは何か

まず基本的なところから考えたいのだけれど、文系って一体何を指しているのだろうか。おそらくは人文科学と社会科学を合わせて文系と呼んでいると思うのだけれど、このような切り方は日本特有のものと言っていいと思う。

もちろんこの内部でのカテゴライズにも様々な議論があるので色々飛ばしてしまうと、まず人文科学と社会科学はかなり異なる内容であるというところから始めたい。

大体、「文系は役に立たない」という言葉を安易に使う人が好きそうな「実学」だってその中に入っている。経済学や法学、経営学なんて実学の中の実学だし全て社会科学の中にある。多分、こういうところは基本的には役に立たないの外にあるのだろうと一旦判断してこれ以上は取り扱わない。

そう、この文系廃止論のやり玉に挙げられているのは人文科学-あるいは人文学であろうことは当然予想できるところだ。哲学、文学、言語学、歴史学といった分野は果たして価値が無い分野なのだろうか。

価値とは何か

この問いは、そもそもが哲学が数千年前から取り組んでいる大問題であり未だに統一的な答えは出ていない。価値というのは最終的に「良いと感じる」ものにあるのだけど、何を良いとするのか議論は見えないし、そもそも良いとは何かを議論すると価値とは何かという定義問題が発生するし、とにかく難しいのだ。

そういう難しい言葉を平気で使う人というのは大概深く物事を考えていないことが多いと思うのは僕だけだろうか。断言すれば世の中は単純に説明した気になれるけれど、断言した瞬間多くの微妙なものが捨象されるのもまた確かだろう。

裏を返せば、何かを価値がないと断言する人は、そうした方が自分にとって都合が良い形に誘導出来る人かもしれない。「○○には価値がない」と断言する人の顔を思い浮かべてみると、そう断言することでその人の価値観が守られたり、経済的な利益が確保されたりするような気もしてくる。

もう一度裏を返してみると、人文系には価値があると言う多くの人がその言葉によって自分や自分の分野を守っているようにも見えるし、そう考えて見るとどちらも大差ないようにすら感じられる。

その言葉の真意は何か

全然別の視点を持ってみれば、だからそういうことを言う人は「本当は何を言いたいのか」を考えてみる必要があるだろうと思う。文系廃止論を訴える政府がしたいことは何か。それは予算削減である。お金を生み出さない分野に、社会をわかりやすく良くしてくれない分野に予算を割いていても仕方ない-というのが率直なところだろう。

しかし、人文系の少なくない人が「いや、人文系は結果として様々な形で社会に関わっている」と思うだろう。つまり、その主張の前提にある価値観や考え方に誤謬があると指摘するだろう。そしてそれを指摘することは大事なことだ。

でも今まで人文系の人たちは、どのくらい「自分の分野はこのような形で社会と繋がっている」と説明してきたのだろうか? 僕の知っている範囲では、そういうことに積極的に取り組んでいる/取り組むべきだと思っている人文系の教授が多いとは到底思えない。

一昔前なら、岩波教養主義と言われるような裾野の広い人文系の魅力が伝えられてきて、また大学人とは別の教養人が文壇やテレビに出ていて、そういう人たちの影響力があったから大学人は研究だけしていればよかったのかもしれない。

でも今やそういう人たちはいなくなってしまって、市民とのチャネルは断絶の危機を迎えている。「わからんやつに言っても仕様がない」と言っている間に大学のポストが無くなっても良いのかな。自分は逃げ切れても自分の研究室の愛弟子はこの世界で生きていけなくなってしまうかもしれない。

人文系の教授がその魅力や価値を改めて伝えていく時代が-あるいはコミュニケーターのような人が価値を社会的に認知されれば彼らが-来るのだろうと思う。思っているよりもデッドラインは近い気がしている。

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