文字に依存しない教養:踊る靴職人、儀礼文化の王族たち

教養と聞くと様々なことを知っていたり、それをひけらかしたりするイメージがある。しかしその中心にあるのは文字-書籍や論文など-だと思われることが多いだろう。身振りの教養という視点を紹介したい。

本連載について

知の見取り図というwebサービスが目指すところは知的好奇心に優しい社会を作ることです。人生100年時代と言われる中で、改めて「学び」が注目されています。人は学び続けることで豊かな生活が暮らせる、そんなふんわりしたイメージの中に教養という言葉も位置づけられているように思います。

この連載「知られざる教養の実態」では、様々な書籍の中で語られる教養について掘り下げながら、その言葉の広がりや多様性、そして最終的には私達知の見取り図が考える教養や教養人といった言葉を定義していきたいと考えています。今回取り上げるのは阿部謹也の「教養とは何か」の一節です。

連載「知られざる教養の実態」
vol.1教養とは何か:「いかに生きるか」を自ら問うこと
vol.2教養とは何か:「俗世を超越する」教養はいつから始まったのか
vol.3教養とは何か:日本のエリート主義と接続した「教養」
vol.4文字に依存しない教養:踊る靴職人、儀礼文化の王族たち
vol.5竹内洋『教養主義の没落』の序章から見える、教養と総合雑誌の歴史的関係

 

教養概念の変容

中世の都市の発展と共に、父親の職業を必ずしも踏襲しなくてよくなった若者たちが悩んだことは「どのように生きるべきか」という問いでした。人生を考えるにあたって重要だったのはギリシャ語やラテン語で書かれた古典文献。教養とはこの問いに向き合うために語学の知識を要求ししました。そこから特にドイツで徐々に抽象的なことを考えることを通して自身を高める(ために哲学など俗世と離れた学問が尊ばれた)ことに向かっていき、日本でもそのように受容されました。

しかし、このような文字を中心とした教養だけが「自身を高めること」「どのように生きるべきか」に対応していたわけではありません。身振りの教養というものもまた確かに存在していたのです。そもそも、そのような「知識人的教養人=個人の教養」だけではなく「自分と社会との関係を知っている=集団の教養」は農民なども当然持っていました。

踊る靴職人と王の振り上げる剣

文字よりも重要なコミュニケーション手段が存在し、またそれが社会において実在するとみなされた近世。そのわかりやすい例が、靴職人の舞踊です。初めて聞く人にとっては繋がりがわからないかと思いますが、中世の時代に自らの職分を示すための方法として正しいステップを踏んで踊ることだったのです。識字率が低かった彼らにとっては書類などは意味をなさず、自分たちの仲間かどうかをそれで判断し、正しく踊れるものを正当な職人として認めたと言います。

更に、王族にもまたこのような身振りの教養が存在しています。それはルイ16世の起床から就寝まですべてが儀式のようにされていて、適切な身振り手振りが定められていたことにも明らかです。「このように振る舞うべき」という指針は、決して抽象的なレベルだけではなく、日常の生活の中に確かに存在しているのです。例えば舞踏会での華麗なステップもまた典型的なそれでしょう。

このように考えてみれば、いまテーブルマナーなどについて知っていることを教養があると呼ぶことにも一理あります。それはつまり「特定の場面において、適切とされる事柄(知識、仕草を含む)」を知っていることだと言い換えることが出来るのです。これは教養の別の側面として着目する必要があるでしょう。

不完全な文字、音楽と肉体の完全性

それどころかいまの感覚とはかなり異なり、当時は「言葉というのはそれを解する者同士しか伝わらない不完全なものである」とされ、それに対する形で音楽や演劇(や踊り)の素晴らしさが讃えられました。そこには言語文化を越えた素晴らしさというものが共有されていると考えたのです。

そして、18世紀頃にドイツで哲学が尊ばれたのと同じ理由で音楽や舞踊が非常に重視されました。つまり、人間の生きる意味をその人格や魂などの本質を最大限磨き上げること-哲学の場合は理性、つまり研ぎ澄まされた思考をすること自体に、そして舞踊ではその肉体の完全なコントロールと意識と肉体との一致-に見る価値観があるからです。

音楽と天体の動きを当時紐付けて考える文化があり、それに載せて踊るということは宇宙のリズムと肉体が同化し、宇宙と自己、抽象と具体、聖と俗とが融合し一体化する身振りです。これは究極的な自己の魂の発現の方法だと言えるでしょう。

現代人の多くはテキストに大きく偏った世界を生きていますが、実際のところダンスもまた中世においては極めて重要な「どのように生きるべきか=生きる意味とは何か=自己の魂の発現」のための方法だったのです。いま、書籍を中心とした教養イメージが広まっているからこそ改めて振り返りたい側面でしょう。

教養とはなにか

連載を進める中で、いまの日本で一般的に理解されている教養について語る場面もあれば、突飛な印象すら受ける教養について触れることができた。一旦これで最初の1冊、阿部謹也の『「教養」とは何か』を終わりにして、次の本に進みたいと思う。

教養について語る本は決して少なくない。そもそも教養といったとき、それが何を指すのかから始める必要がある。教養とは何か、それを獲得することにはどんな喜びや価値があるのか。この連載を通して私自身考えていきたい。

連載「知られざる教養の実態」
vol.1教養とは何か:「いかに生きるか」を自ら問うこと
vol.2教養とは何か:「俗世を超越する」教養はいつから始まったのか
vol.3教養とは何か:日本のエリート主義と接続した「教養」
vol.4文字に依存しない教養:踊る靴職人、儀礼文化の王族たち
vol.5竹内洋『教養主義の没落』の序章から見える、教養と総合雑誌の歴史的関係

 

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