竹内洋『教養主義の没落』の序章から見える、教養と総合雑誌の歴史的関係

日本における教養概念は総合雑誌との関係を抜きにしては語ることが出来ません。論文誌よりも格式が高いとすら言われた時代では、その雑誌を読むことが教養共同体に仲間入りするための大事な方法だったのですから。時代と雑誌の変遷を辿ります。

本連載について

知の見取り図というwebサービスが目指すところは知的好奇心に優しい社会を作ることです。人生100年時代と言われる中で、改めて「学び」が注目されています。人は学び続けることで豊かな生活が暮らせる、そんなふんわりしたイメージの中に教養という言葉も位置づけられているように思います。

この連載「知られざる教養の実態」では、様々な書籍の中で語られる教養について掘り下げながら、その言葉の広がりや多様性、そして最終的には私達知の見取り図が考える教養や教養人といった言葉を定義していきたいと考えています。

今回は竹内洋さんの『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』を取り上げます。

連載「知られざる教養の実態」
vol.1教養とは何か:「いかに生きるか」を自ら問うこと
vol.2教養とは何か:「俗世を超越する」教養はいつから始まったのか
vol.3教養とは何か:日本のエリート主義と接続した「教養」
vol.4文字に依存しない教養:踊る靴職人、儀礼文化の王族たち
vol.5竹内洋『教養主義の没落』の序章から見える、教養と総合雑誌の歴史的関係

 

教養と雑誌との関係

同書の序章では、まず筆者である竹内洋さんが高校生で『世界』という総合雑誌に出会うところから教養と雑誌の関係が始まります。1951年頃、今とは比べ物にならないほど「賢い人物」として期待されそのように振る舞った高校教師が勧めてくれたそうです。高校時代は難解で読めなかったものの、これをきっかけに大学では読み込むように。ちなみに当時の高校進学率は50%を切っており、いまの大学教授よりも高校教師の威信があったと著者は述べています。

彼が京都大学に入学した時には既に(エリート中のエリートが行くところであった)旧制高校は既になくなっていましたが、大学で教授する側はもちろん旧制高校出身。旧制高校特有の教養主義的文化は色濃く残っていたようです。

愛と認識との出発、善の研究、三太郎の日記、学生と教養、読書と人生、現代学生講座、資本論、ドイツ・イデオロギーなどいわゆる教養書の読書会はキャンパスのあちこちで行われていて、まさにエリート大学生という雰囲気があった頃ですね。

当時ももちろんダンスや異性遊びが得意な軟派型、公務員試験などのために勉強をする実利型、運動部の学生のような硬派型の学生文化もあったそうですが、著者のような教養主義的文化が主流であったそうです。今では相当浮くであろうことを考えると隔世の感がありますね。

1960年頃から雑誌「世界」とは距離を置き、次に新たな総合雑誌として読み込んだのが「中央公論」であったと言います。世界が進歩的知識人や左寄りの論壇であったものの、学生運動などを通して恵まれた学生という立場を自覚する中で徐々に中央公論に移動したというのは、まさに中央公論が現実派知識人と呼ばれるタイプの論説を載せていたことと重なります。

当時は加藤秀俊、会田雄次、萩原延寿、永井陽之助などが活躍していたそうです。この辺りはいかにも論者という感じですね、いまの日本でこの辺りを読み込んでいる人はほとんどいないのではないでしょうか。当時のエリート学生にとってはある種の常識、もっと言うならばまさしく教養として読まれていたようですが。

総合雑誌の時代

大正時代から昭和戦前期とは、まさしく教養主義の時代でした。しかもそれが学生の規範的文化として機能した時代です。旧制高校などもまさにこの辺りですね。この頃、中央公論、改造、経済往来(後の日本評論)などが次々に出ています。

鶴見俊輔、林健太郎など錚々たるメンバーが議論を交わしており、並の論文誌よりも遥かに質の高いものであったと言われています。教養主義とは単に主たる西洋の古典を読みふければ良いというものではなく、このような雑誌に目を通して自分なりの何らか意見を持つことこそが尊ばれたようです。

3つの骨太な総合雑誌に留まらず、他にも展望、朝日ジャーナル、思想の科学、潮、自由、日本、現代の眼、現代の理論といった雑誌もありました。これら単に一般教養的な論説に留まらず、専門的な学問の学びの入り口ともなるところであり、分野を越えた研究者同士の交流の場でもありました。

教養とはなにか

このように見てみると、教養(あるいは教養主義)とは少なくともこの時代においては「知識人が当然知っておくべき古典や現代の思想の議論について熟知している、少なくとも自分の意見をもって語ることができること」と認識されていたように思います。

いまでもそのように教養を捉える向きも少なくありませんが、重要なのはこの教養概念には時代性があることです。「現代の思想の議論」ということは、平成には平成の議論の蓄積があり、それを追っていることが求められるでしょう。すなわち、平成に生きながら現代の思想家を知らずに昭和の議論ばかり追っている人はある種の懐古主義的教養観を持っている、とカテゴライズすることも可能かもしれません。

知の見取り図としては、このような教養の重要性を理解しつつも「この世界にはまだ自分の知らないことがあり、自分の知らない価値が眠っていることを知っていること」こそが教養ではないかと考えています。何か新しいことを学びたいと思ったときは、是非知の見取り図で専門家が紹介するお勧めの書籍を手にとって見てください。きっと新しい世界が広がっているはずです。

連載「知られざる教養の実態」
vol.1教養とは何か:「いかに生きるか」を自ら問うこと
vol.2教養とは何か:「俗世を超越する」教養はいつから始まったのか
vol.3教養とは何か:日本のエリート主義と接続した「教養」
vol.4文字に依存しない教養:踊る靴職人、儀礼文化の王族たち
vol.5竹内洋『教養主義の没落』の序章から見える、教養と総合雑誌の歴史的関係

 

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