わくわくするような未知の知との出会い

ドイツ語教育を通して子ども達にワクワクを届けたい

「知的リソースにアクセスするには、母語と英語だけでは足りません」



小林慶子さん:慶應義塾大学 / 政策・メディア研究科 

今回は知の見取り図に「外国語を教える・学ぶについて考える」という本棚を寄贈して頂いた、慶應義塾大学の小林さんに専門の話を伺ってきました。

小林さんはどんな人?

中川:本日はどうぞよろしくお願いします。まずは小林さんの基本的なプロフィールや、専門について簡単にお伺いしてもよろしいでしょうか。

 

小林:はい。私は慶應義塾大学の独文科を卒業後、政策・メディア研究科というところで、少し畑違いに聞こえるかもしれませんが外国語教授法を学んでいます。英語教師とドイツ語教師の免許はすでに取得してます。ドイツ語教授法が専門になります。

中川:外国語教授法を学ぶというのは、具体的にはどういったことでしょう。文法の教え方といったところから始まるんでしょうか。

 

小林:大きく3つの領域がありまして、1つ目は「普遍的な言語学習理論」になります。特定の言語学習ではなく、どんな言語学習にでもある程度までは応用が可能な基本的な学びの理論です。2つ目は「教授法」になります。先ほどいわれたように、文法をどう教えるのか、言語の4つのスキル(読み、書き、話し、聞き)をどのように伸ばしていくかといったことを学びます。そして3つ目は「学習者のタイプによって複数の選択肢を提示」するということです。一つの学習方法が全ての人にとって最適ということではなく、学習者によって色んな学び方を提示するためのものです。

 

中川:ふむふむ。先ほど普遍的な言語学習とおっしゃっていたんですが、これは東洋や西洋によっても言語の性格がかなり違うと思うのですが、それでも普遍的に適応可能なものなのでしょうか。

 

小林:そうですね。よく対極の言語、共通するところが少ない言語と言われることが多いです。西洋はより音声中心的、東洋は視覚中心的とも言われます。アルファベット自体には意味を見出しにくいのですが、漢字などは文字自体に意味がありますので。しかし、やはり西洋言語を中心とはしているものの、どのように人は言葉を獲得していくのか、という根本的な部分から行うので共通している部分は大きいと考えています。

外国語教授法とは?

中川:外国語教授法に興味を持ったのにはどんな背景があったんでしょうか。

 

小林:元々、親が教師だということもあり、教師という仕事に就きたいと考えていました。大学に入る前は英文科に興味があったのですが、ドイツ語を学び始めると面白く、気づけばこうなっていました。

 

中川:大学に入る前と興味が変わらない人の方が珍しいですよね。専門の中でもとりわけ興味の強い部分というのはおありですか?

 

小林:私が大事にしたいと考えているのは、言語を教える時にはその国の文化も同時に伝えたいということです。言語と文化には密接な関わりがあり、その面白さも含めて伝えたいんですね。現在一般に国際的なフィールドで用いられている「国際語としての英語」はあまりに多様化してしまい、中等教育での指導となると実践的な運用能力的な話に留まってしまう。それが言語としてどのような歴史背景を持ち、文化的な意味があるかということまで話が及ばない。しかしドイツ語はまだ使用範囲がずっと英語より狭いので、メイン・スポークンエリアであるドイツの文化背景までも伝えることができると思っています。

 

中川:確かに、言語というものを教授するとき、実践的な運用部分しか教えられないのは、文化の豊かさを知っている方からするともったいなく感じるかもしれません。話は変わりますが、語学学習というと大きく二つのパターンがあるイメージです。まず文法を教えてからそれを何度も繰り返す形。もう一つが実際の文章に触れてからその中で使われている文法を発見する方法。特に日本では前者が多いイメージです。 

小林:その通りです。日本ではずっと、「文法を先に呈示し、それを演習する」方法がとられてきました。それに対して、欧州は国によっては異なると思うのですが、実際の文章に触れて、その中で学ぶという方法をとっているところも少なくないと思います。

 

中川:となると気になるのは、どちらの方がより良い学び方なのかということですが、実際のところどうなのでしょうか?

 

小林:そこで重要になってくるのが、先ほど申し上げた「学習者のタイプによって複数の選択肢を提示」するところです。人によって学びやすい方法というのはそれぞれだと思うのです。例えば受験勉強の時も、人によって暗記の仕方が違ったりしませんでしたか? それと同じで、言語学習においても「やりやすい/やりづらいやり方」というのがあると言われています。

 

中川:ああ、そういうことなのか。そこを見極めるのも、言語の教授者に必要なスキルなんですね。

 

外国語教授法の社会的意義とは?

中川:楽しく学んでいる人にこんなことを聞くのは無粋なことだとも感じるのですが、実際のところ小林さんがしているような学び・研究というものは社会的にどのような意義を持つものとお考えでしょうか。

小林:そうですね、それに答えるために考えなくてはいけないことがあります。それは、「なぜ私たちは外国語を学習するのか」という問いです。考えたことはおありですか? 

 

中川:僕は昔からWikipediaが好きでよく読んでいたのですが、ある日「他の言語で閲覧する」というメニューに気づいて英語版を見てみると情報量が全然違って驚きました。ページによっては英語よりもフランス語やドイツ語の方が情報量が多かったりして、読めもしないのにアラビア語やヒンディー語でもページを見たことがあります。

 

小林:まさにそれが外国語を学ぶ非常に重要な意味なんです。知的リソースにアクセスするには、母語と英語だけでは足りないのではないか、ということなんです。もちろん全ての人が学ぶ必要はないかもしれませんが、日本語を母語として、かつ他の言語の知的リソースに直接アクセスできる人間は一定数必要だと思います

 

中川:多くの本が英語に翻訳されていることもあり、英語だけ出来れば十分じゃないかという考え方もよく聞きます。でも、例えば日本語一つとっても、僕/俺といったニュアンスの違う一人称を「I」の一文字にしてしまう怖さがありますよね。

 

小林:はい、翻訳された文章には訳者の主観的な排除・解釈の介入などの懸念事項があります。直接オリジナルな文献や情報にアクセスするための言語というのは一般に考えられているよりも遥かに重要です。

 

中川:外国語学習の重要性が明らかになると同時に、それらを教授する方法というのものの大切さも明らかになるというわけですね。

 

 

あなたにとって知的好奇心とは?

中川:それでは最後の質問になりますが、小林さんにとって知的好奇心とはなんでしょうか? あえてぼんやりした質問にしているので、自由にお答えいただけたらと思います。 

小林:答えにくい質問ですが、私にとっての知的好奇心は「人間を人間たらしめるもの」です。好奇心に満ちている人はとても魅力的に感じますし、話していて楽しいですね。私はこれからドイツ語教師という進路に進もうと考えています。子供達にとって、先生というのは身近に接するとても大切な大人ですよね。彼らを前にした時、私は知的好奇心でワクワクしている姿を見せたいです。何かを学ぶこと、知ることというのはとても楽しいことなんだと伝えられるような先生になれるよう精進していきます。

 

中川:「なぜ学ぶのか」という問いへの解答を持った先生が、ワクワクしながら楽しそうに教えてくれる。そんな先生に教えてもらえる子供達が大変うらやましいです。本日は本当にありがとうございました。

小林さんの本棚:外国語を教える・学ぶについて考える